“紅葉のひるがみ温泉と奥飛騨” 旅のきろく


皆さまこんにちは。

今回は、10月に催行した『池田香代子さん同行 紅葉のひるがみ温泉と奥飛騨の旅〜満蒙開拓平和記念館、黒川「乙女の碑」&杉原千畝記念館を訪ねる〜』の旅を
今回この旅にご参加いただき、天龍村平岡が故郷でもあるご参加者さまよりお寄せいただきました紀行文と共に振り返ります。

***たびせんでは、皆さまのご協力のもと、安心安全第一に、対策を徹底しながら旅を進めさせていただきました***


今から80年前の1940年夏、第二次世界大戦中にユダヤ難民へのビザ発給により6000人もの命を救った杉原千畝。

杉原千畝記念館を訪ねるにあたり、アウシュビッツ他収容所生活を描いた永遠のロングセラー「夜と霧」のドイツ語翻訳者の池田香代子さんに同行していただき、歴史を振り返りながら平和を考える旅でした。


3日間の旅で、訪問したのはこちら。

専用バスに乗り、長野県下伊那郡阿智村にある「満蒙開拓平和記念館」へ向かいます。

 『満蒙開拓平和記念館』
全国各地から27万人の満蒙開拓団が満州に移住。そのうち、最も多くの開拓団を送り出した長野県南部の飯田・下伊那地方。それが故に戦後多くの中国残留邦人の帰国者を迎えるなか、飯田日中友好協会が中核団体となり2006年から建設をはじめ2013年4月に開館。史実を通じて平和の尊さを全世界に向け発信し続けています。

夕方には ひるがみ温泉「鶴巻荘」に宿泊。

2日目は、「飯田歴史研究所」の 原 英章 さんに案内をしていただき、在日殉難中国烈士永垂不朽慰霊碑のある平岡ダムへ。

  『満蒙平岡ダム
強制連行中国人、韓国人そして連合軍捕虜も犠牲になった平岡ダム。
中国残留孤児の帰国に尽力した阿智村の山本慈昭和尚は平岡ダムの遺骨取集と供養そして中国への返還に奔走。

長岳寺山本慈昭像
(「在日殉難中国人烈士」の慰霊碑)


そして、天龍村へ。

写真は、ご参加者さまの母校である天龍中学(戦争中は、連合軍捕虜収容所でした)
にある連合軍捕虜の慰霊碑に献花をしているところです。

(連合国捕虜慰霊碑)
(望郷の鐘)

バス内では、池田香代子さんのお話を聴きながら移動し、
下呂温泉に宿泊しました。



3日目は、2018年11月18日に除幕、追加され後世へ事実を伝える碑文である「乙女の碑」へ。

 『黒川開拓団・乙女の碑』
1982年に建立。
当初、説明文はなく戦後70年以上秘密にされていたが、2013年頃からソ連兵からの性暴力を受けていた女性たちが性接待に関して、満蒙開拓平和記念館などで証言。2018年に説明文が追加。


その後、白川町黒川にて地産地消の美濃白川豆腐や手作りの朴葉寿司、笹寿司、茶そばなどのお昼をいただき、

加茂郡八百津にある「杉原千畝記念館」へ。

 『杉原 千畝』
今から80年前の1940年夏、第二次世界大戦中にユダヤ難民へのビザ発給により6000人もの命を救った杉原千畝。
彼が生まれ育った地が岐阜県八百津町。


人数制限や入場規制がありながらも、皆さま距離を十分に保ってご見学いただき、無事に旅を終えました。

以下、ご参加者さまによる紀行文をご紹介させていただきます。

今回のツアーに参加して

埼玉・熊じぃ

私は「たびせん・つなぐ」主催のツアーに昨年から参加しているが、3度目となる今回は何と自分が生まれ育った故郷の平岡ダムが入っているということで興味津々で参加した。

昨年ドイツ・ナチスのアウスシュビッツでのホローコスト、中国満州国や731部隊の惨劇を学び、その延長線上で、阿智村・満蒙開拓団、捕虜強制連行に伴う平岡ダム建設、黒川村・乙女の碑に込められた悲劇、ユダヤ難民への杉原千畝の行動、など色々歴史を学んだ今回のツアー。その結果、これまで点と点でしかなかった歴史観が線となり、そして狭いながらも面となった。歴史は加害者被害者の両面から見る必要があることも痛感した。

その中で特に私の故郷(天龍村平岡)の平岡ダム建設に関する歴史はショックであった。

まずは平岡ダム建設が戦争に絡む国策であったこと、その労働に強制的に駆り出された方々は今まで中国・朝鮮の方々だけと思っていたが英米連合国の捕虜の方々もいたこと、強制連行・強制労働の犠牲者の火葬場、ダム建設物資の移送に利用された飯田線やインクライン、戦後のBC級戦犯を裁いた横浜裁判では当地の捕虜収容所の職員から裁判が始まったこと、火葬場で遺骨収集し残留孤児の父と呼ばれた山本慈昭氏の存在、等々私が知らなかった数々の戦争悲話。

ツアーの事前勉強の中、私が 71歳になった今でも平岡ダム建設の歴史では中国慰霊碑のことしか知らなかったのは何故だったのか、疑問が沸いてきていた。義務教育の中で敢えて教えてなかったからか、それとも私が全く興味をもたなかったためなのか、はたまた…。

その答えのヒントを出してくれたのはガイドをして下さった「飯田歴史研究所」の原英彰先生の平岡ダム建設に関する詳細なレクチャーであった。戦中戦後を通し、口にチャックするしかなかったであろう村人同士間の悲しい歴史があったのでは…。それは足尾鉱山の鉱毒、チッソ水俣病、広島・長崎原爆症、福島原発事故の被災者、等々にも通じる利害関係者間の分断された歴史と重なっていると思った。

以上のように、たびせんのツアーで歴史を学べた事はこれから先へもつながっていくことである。

3度のツアーに同行した妻も単なる観光だけではなく学び旅を企画してくれる、たびせんの大ファンとなり、家計が許す限り参加したいとのことである。

私達二人は熱心にレクチャーして下さった添乗員山田様、池田香代子先生、原英彰先生に心から感謝である。

最後にこのツアーがこれからも継続されていくことを願いたい。

【補足】

  • 私は池田香代子先生を前述のドイツツアーで知り大ファンとなったことから、今回講師になってくれることを熱望し実現。また原英彰先生は元天龍村教育委員長(私の亡き次兄の竹馬の友)の知人であることもツアー直前に知った。まさにたびせん・つなぐ・・・である。
  • 天龍村平岡は私が生まれ18歳まで育った故郷であり、現在も実家の不在地主としてお盆を中心に家族と共に年1回程度帰省している。天龍中学校の一期生でもある。
  • 天龍村は長野県最南端に位置し、林檎が取れない一方、お茶や柚子が採れ降雪も少ない。亜熱帯性のバショウ(芭蕉)が村木で、県下でいち早く梅や桜が開花し「信州に春を告げる村」と呼ばれている。また、65歳以上(老年人口)の割合は19%で全国の自治体で2番目に高い村。更に村内にある飯田線・平岡駅前後の5つの無人駅はテレビや雑誌などで秘境駅特集がでると必ず挙げられる。

改めまして、昨今の情勢もありながら旅にご参加いただいた皆さま、紀行文を快くお寄せいただいた(ペンネーム)熊じぃさん へ 心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

たびせん・つなぐ では、同行者と共に歴史や文化を振り返るツアーも企画しております。
今後も皆さまのご要望と共に旅をつくっていけたらと励んでおりますので、
ぜひ、皆さまのお声をお待ちしております。


〜今回ご紹介した旅のチラシ〜

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