[つなぐレポート] 2009年1月9日発 チュニジア 歴史散歩10日間
2009年1月9日発「チュニジア歴史散歩10日間」のレポートです。
報告者:(株)たびせん・つなぐ ネット担当 大河原有佳
【1日目】 1月9日(金):日本~パリ経由~チュニス
朝7:30に成田空港に集合。早朝のため、関西、北海道、東北出発の方々は成田で前泊されてのご集合となりました。16名のご参加に、添乗補佐の大河原がつき、フランス航空(エールフランス)利用でパリ経由、チュニジアの首都チュニス到着までの長い一日が始まりました。成田空港を9:30発。12時間45分のフライトを経て、雪模様のパリ(シャルル・ド・ゴール空港)へ到着。
17:00、乗り継ぎ便は予定より1時間ほど遅れての出発。
フライト後、飛行機から素晴らしい夕日が。飛行機の遅れもありチュニスには予定の1時間遅れで(現地時間19:30頃)到着。空港内、荷物受取場所(バゲージエリア)にある両替所で、現地通貨チュニジアン・ディナールへ各自両替。
空港から出たところで、添乗員の永松真紀さん、現地ガイドのラサド・シェビー(LASSAD CHEBBI)さん、バス運転手のモンデルさんと合流。空港からチュニスで宿泊するホテル「アブナワス・チュニス」までは15分ほどで到着。チュニジアでは水道水は飲めないため、ペットボトルの飲料水をバスに常備。1ディナールコインで皆さん随時運転手さんから購入するというシステム。
ホテルでの夕食。日本とチュニスの時差は8時間。24+8=32時間の1日だったということになります。これが5度目の食事となりましたが、機内食が続いたあとの温かいスープに、皆さんほっとしたご様子でした。
【2日目】1月10日(土):チュニス~ザグアン~ケロアン(カイロアン)
朝、ホテルから眺めた首都チュニス。地中海側では晴天に恵まれました。9:00にホテルをバスで出発。バスでの移動中はガイドのラサドさんより、様々なチュニジア情報を教えていただきました。ここでまず、国の概要について少しお伝えします。
チュニジア・国の概要
チュニジアの人口は約1000万人、国土は日本の半分以下。首都チュニスには100万人ほどが居住。
主産業は農業で、国民の3割が農業従事者。農業国というだけあり、移動中バスからは常に左右に畑が広がっていました。チュニジアの北側は地中海に面した肥沃な大地で、オリーブ、ブドウ(ワインに加工)、柑橘類、また小麦などの穀物を生産。南側はサハラ(砂漠)となり、農業には不向きだが、ナツメヤシ(デイツ)などを栽培。確かに特産品の多くは、このツアーでの食事に登場し、農作物の野菜(サラダなど)もビュッフェ等で豊富に並んでいました。小さな国土の中にある気候・風土の多様性も、チュニジアの一つの魅力と言えます。
地下資源は少なく、電化製品はほとんどが輸入で、農業の次に柱となっているのが観光業だそうです。世界遺産、リゾートや砂漠があり、ヨーロッパから多くの観光客が訪れます。日本からは年間9000人程とのことで比較的少なく、日本にとってチュニジアが、まだあまりなじみのない場所であるように、チュニジアでも日本は遠い国というイメージであるようです。
チュニジアは北アフリカにあるアラブの国。国民の9割以上がアラブ人で、アラビア語を話し、イスラム教徒です。「宗教、という言葉の意味は、日本人と私たちでは、少し捉え方が違うと思います。チュニジア人にとっての宗教は、たとえばモラルのような感じです。」とラサドさん。
近年、日本で目にするイスラムやアラブというと、大部分がテロのニュースではないでしょうか。ともすると偏見を持ちがちなイスラム、アラブの国に対する認識を、チュニジアのアラブ人であり、イスラム教徒であるラサドさんのお話を通して改めさせていただいた感があります。
チュニジアは国の予算の25%を教育にあてています。授業料は小学校から大学まで無料で、小学校への就学率はほぼ100%。そのうち大学へ進学する割合も60%。貧富の差も少なく、人々もフレンドリーでおおらか、のんびりとリラックスしています。とても平和な国、という印象でした。
ザグアンの水道橋
ホテルを出て30分ほどで、ローマ遺跡の一つ「ザグアンの水道橋」に到着。ザグアンは山の名前で、そこからの水を都市部に運ぶために作られた132キロにおよぶ水道橋です。水圧に変化をつける仕組みや精巧に作られた高低差、水道内掃除用の場所や足場設置用の穴など、ローマ文明の象徴。10分程、バスから降りて写真撮影など。
ザグアンを出てカイロアンへ向かいます。高速道路を利用し、バスで2時間半ほど。途中に1度、高速道路のサービスエリアのような場所でトイレ休憩を。トイレでは、だいたいお掃除のおばさんがいて、(特にきれいに掃除してあるため)チップを支払います。場所にもよりますが、1ディナール以下のミリームコイン(1ディナール=1000ミリーム)でOKです。
カイロアン市内観光:グランドモスク~アラブ朝の貯水池~シティサハブ霊廟
カイロアンに12:00頃到着。ローマ帝国衰退後、7世紀のイスラム・アラブの波がチュニジアにも押し寄せます。その西方進出最大拠点となったのがカイロアンです。まずはアフリカ最古であるグランドモスクへ。
世界遺産の多いチュニジアは、遺跡でのカメラ持ち込み撮影に料金がかかりました(施設、都市によりますが、1~1.5ディナール。今回、カイロアンでは、グランドモスク、貯水池、シティサハブ霊廟は共通のカメラ券1ディナール1枚でOKでした)。
写真(左)はミナレット(お祈りを唱える際に使用した高い塔)と排水溝。排水溝は雨水の地下貯水に用いられていた。柱などの建材は、ローマの遺跡からとってきて使用したとのこと。一つ一つを見ると微妙に違いがあり面白いです。
30分ほどかけてゆっくりとグランドモスクを見学した後、昼食はその日の宿泊先でもあるカスバホテルにてビュッフェ。
チュニジアには「メディナ(旧市街)」が各地にあります。これは古くからのアラブの人々の町で、城壁に囲まれ、モスク、市場、住宅地、そしてカスバがあります。カスバは日本で言うなら「官庁街」。今回宿泊したカスバホテルは、名の通り、カイロアンのカスバがホテルになっているのだそうです。外観は、一見すると遺跡のようなホテルです。
14時前にホテルを出発、10分ほどバスで移動し、アラブ朝の貯水池へ。3階建ての建物を登り、貯水池を上から眺められます。施設の中には、昔のカイロアンの写真があり、近年の歴史を見ることができます。20分ほど見学。
またバスで5分ほど移動し、シティサハブ霊廟へ。霊廟はアラブらしい装飾がふんだんに施されており、壁の幾何学模様が美しい。写真(右)は中庭で遭遇した、サッカーをするちびっ子。チュニジア人は熱狂的にサッカーが好きなんだそうです。30分ほど見学して、カスバホテルへ戻り、その後は各自の自由時間。カスバホテルのハマーム(マッサージ)や、メディナへの散策などを楽しまれていました。夕食はカスバホテルでビュッフェ。
【3日目】1月11日(日):ケロアン(カイロアン)~スベイトラ~トズール
朝9時、カスバホテルを後にし、スベイトラに向け出発。
スベイトラ遺跡
バス乗車1時間45分ほどでスベイトラ遺跡へ(カメラ券・1ディナール必要)。スベイトラ遺跡散策時は日が隠れたため、厚手の上着が欲しい陽気。今回のチュニジア滞在中の気温は、12~15度ほどで風が冷たく、太陽の出ているうちは温かいですが、日が陰ると途端に寒く感じます。冬は地中海側が雨が少なく、南の砂漠へ近づくほど雨が多くなり、夏はその逆で地中海側が雨が多く、砂漠側は乾季になるそうです。ガイドのラサドさん曰く、チュニジアのベストシーズンは、花も咲く春(2~4月)とのこと。
スベイトラはローマの遺跡があり、神殿のある広場(フォーラム。写真参照)、そのまわりに広がる市場や住宅街、大衆浴場、劇場などが、小高く広々とした大地に広がっていました。1時間15分ほど見学。このスベイトラ遺跡の中で、誕生日祝いをしている若い女性たちに遭遇。偶然居合わせた私たちに誕生日ケーキを分けてくれるなど、とても気さく。遺跡にケーキやジュースを持ち込んで、誕生日祝いができてしまうなんて…日本からすると不思議な光景ですが、これもチュニジアの寛容さの表れなのでしょうか。
12時頃からスベイトラのレストランにて昼食。ブリックというチュニジア風春巻き。
トズール:ダル・シェラット博物館
スベイトラから、サハラの入口の町・トズールまでは、途中休憩をはさみながら移動時間3時間ほど。17時頃トズールへ到着。
宿泊先のダル・シェラットホテルと隣接しているダル・シェラット博物館へ(カメラ料金1.5ディナール)。この博物館では、アラブの人々の伝統的な文化や生活を紹介しています。等身大の人形を使って、当時の台所、ハマーム(公衆浴場)、寺院でのコーランの学習など、様々なシーンがリアルに展示してあります。写真は結婚式後の花嫁が友人たちと集まっている様子。女性たちのきらびやかな衣装やアクセサリー、芸術作品、楽器など実物の展示もあります。45分ほどかけて見学後、ホテルへ。夕食はホテルのビュッフェ。
【4日目】1月12日(月):トズール~タメルザ渓谷~ドゥーズ
チュニジアの南部・サハラは、冬が雨期にあたり、この日のトズールも朝から冷たい雨。しかし年間の雨量の少ない砂漠地域にとっては、ありがたい天の恵みで、雨が降ることは喜ばしいことなのだそうです。ちなみに「サハラ」とはアラビア語で「砂漠」という意味。
9:00出発の予定が、山岳列車出発が10:00から11:00に変更になったため、その時間を利用してトズールの旧市街散策へ。
日干し煉瓦の街並みは、小さな広場と広場の間を細い路地が結び、まさしく迷路のよう。トズールはガイド・ラサドさんの地元で、彼の案内がなければ簡単に迷ってしまうでしょう。いくつものトンネルを抜けて、お土産屋さんへ。素朴なキリム(織物)や鮮やかな陶器と、日干し煉瓦の色合い、そしてそれぞれの幾何学模様の美しさは、アラブ独特のセンスを感じます。(写真左:日干し煉瓦の壁。煉瓦を巧みに組んで幾何学模様を作っている。写真右:お土産屋さんに並ぶ陶器とキリム)
山岳列車「レザー・ルージュ」
1時間ほど散策を楽しんだ後、10:00過ぎにトズールを出発し、まずは山岳列車「レザー・ルージュ」の発着駅メトラウイへ。タメルザ渓谷へ続く道は狭く、バスが通れない箇所もあるとのことで、4台の4WDで移動します。道路の両側には土の砂漠(土漠)が延々と広がっていて、その上を雨が降り続き、雲の合間からさした光の加減で、大きな虹が見えることも。
レザー・ルージュは赤茶色に塗られた、木製のレトロな列車。さすがチュニジア、列車ものんびりしており、11:15出発の予定が、30分遅れてようやく発車。時折黒い煙をあげながら、いくつかのトンネルをくぐり抜け、渓谷の中をぬうように進んで行きます。途中、写真を撮るために停車。折り返し地点はリン鉱石の採掘場となっており、そこからメトラウイ駅まで戻ります。往復2時間ほどかけ、たっぷりのんびりと渓谷美を堪能。
タメルザ渓谷:ミデス、タメルザ、シェビカ
メトラウイ駅で4WDに乗り、タメルザ渓谷へ。14:30頃タメルザにあるホテルに到着、遅めの昼食。ミックスケバブで鳥や牛の串焼き肉。
その後、3つのオアシス村へ。渓谷を見下ろすミデス、滝のあるタメルザ、オアシス村の廃墟のあるシェビカ。4WDで移動しながら、各15分ほど探索。
左側の写真は、ミデスにあった「砂漠のバラ(ローズ・ド・サハラ)」。砂と鉱物でできた結晶で、様々な形、大きさがあり、チュニジア南部のお土産物として売られています。値段もそれほど高くなく、小さなものだと2ディナールほどで購入できます。
砂漠より北側のトズール一帯は、地中海側のような木々やオリーブ等の畑はありませんが、雨期にあたることもあり、背の低い木や花々が見られます。またオアシス地帯にはナツメヤシが密に生えて、ナツメヤシ畑になっています。ナツメヤシの実(デイツ)は非常に栄養価が高く、砂漠地帯の貴重な保存食。乾燥しているため、1ヶ月ほど保存もきき、「水とデイツがあれば、人は生きていける」とのこと。
シェビカを17時頃に出発。雨天も一段と激しくなり、雷も。土漠の上では自然の力をダイレクトに受けるため、一層ダイナミックでした。1時間ほどでトズール近くのデガーシュ着、4WDからバスへ乗り換え。残念ながらこの時点で日没し、砂漠に沈む夕日と北アフリカ最大の塩湖「ジェリド湖(ショット・エル・ジェリド)」は見ることはできませんでした。砂漠の町ドゥーズへ。19:00過ぎの到着となり、そのままホテルで夕食となりました。
【5日目】1月13日(火):ドゥーズ~マトマタ~エル・ジェム~スース
ドゥーズ周辺で、土漠から砂漠に変わっていて、ホテルから少し歩くと砂丘が始まっています。早朝6:30、希望者で集合して、砂漠からのぼる朝日を見ようと、ガイドのラサドさん案内とともに散歩に。しかし雲に覆われていたため叶いませんでした。
ベルベル人の住居
朝食後、8:15にホテルを出発、お土産屋さんで休憩をはさみ、10時頃マトマタに到着。この一帯には北アフリカに先住していたという遊牧民ベルベル人の住居があります(左の写真)。アラブの人々の侵略から逃れ、砂漠地帯に穴を掘るようにして作られた隠れ家のような住居。今でも、一見すると家の無いように見える場所にも、実はベルベルの人たちの住居があるとのことです。入口には、魚と手のマーク。ローマ統治前にチュニジアで文明を築いたフェニキア時代のシンボルで、魚は、地中海を航海し商売をしたフェニキア人を、手は、フェニキアの神様を表しています。
エル・ジェムの円形闘技場
10:30、バスでマトマタを出発。砂漠地帯を抜け、地中海沿いを北上。途中休憩をした場所でニュースを見たラサドさんは、ガザ地区の攻撃について、移動中に話してくれました。この頃のニュースの中で、チュニジアの人たちの一番の関心事は、やはりガザ地区の攻撃のことだということです。非常に勉強になるお話でした。
13:30頃に昼食レストランのあるスファックスに到着。スファックスはチュニジアで2番目に大きく、商業の盛んな都市。チュニジアンサラダとシンプルな焼き魚。
16:00、ローマ時代の大きな円形闘技場(コロッセオ)のあるエル・ジェムに到着(カメラ撮影料金1ディナール)。保存状態がよく、現在あるスタジアムと構造もほぼ同じで、当時の熱気を起こさせるものがあります。闘技場の地下に入ることもでき、闘技をする獣等の部屋が並んでいます。
17:30頃、チュニジアのリゾート地・スースへ向けて出発、18:30に宿泊先のホテル ハスドゥバルへ到着。夕食はメインを、七面鳥、羊、牛、オムレツ等から選ぶ形式。
【6日目】1月14日(水):スース~ナブール~チュニス
スースのメディナ(旧市街)、リバト(要塞)
朝9:00、ホテルを出発し、スース市内見学へ。9:20、世界遺産となっているメディナ(旧市街)に到着。30分ほどかけてゆっくりと散歩。
子供たちが元気一杯に遊んでいて、人見知りせず挨拶をしてくれます。写真の女の子たちは、カメラを持っているのを見ると、「ねぇ、撮ってよ!」とポーズをとってくれました。
広場に出ると塔のあるリバト(要塞)が現れます。リバトの中に入り、塔に登ることができます(カメラ撮影料金1ディナール)。らせん状の階段をあがり、スースの旧市街を一望。地中海に面したスースの港から、ぐるりと囲む城壁、遠くにカスバも見渡せ、素晴らしい眺めです(右の写真)。階段は薄暗く、登るのに多少疲れるかもしれませんが、一見の価値ありでしょう。
スースは地中海に面した都市で、紀元前9世紀、フェニキア人によって開かれ、その後ローマが支配、さらに7世紀からはアラブ人が城塞都市を築きました。それが現在の旧市街となっています。リバトで20分ほど過ごし、再度メディナでのんびり。さながら日本の商店街のように様々なお店が立ち並んでいます。すっかり地中海の気候になり、青空が出て日差しも温か。白い壁に、青の窓やドア、色とりどりの食器や衣服が並んで鮮やかで和やかな光景です。
陶器の町ナブール
10:30頃、ナブールへ向けて出発。ナブールは陶器で有名で、日本の瀬戸市とも姉妹都市になっています。12:00頃陶器工場に到着。手作りで味のある、でも細やかな装飾が施されています。ろくろを使った実演も見せてくれました。
ナブールの町も15分ほど散策したあと、昼食レストランのあるハマメットへ。13:30頃到着。このレストランはテーマパークのような場所に隣接していました。牛肉料理と、食後にチュニジアのミントティーが。独特の甘味があります。
チュニス:メディナ散策と地元スーパーでのお買い物
15:00、ハマメットを出て1時間ほどでチュニスに到着。ここでメディナ散策と地元スーパーへ行き、お買い物を楽しむことに。チュニスのメディナも世界文化遺産となっています。チュニスのメインストリートであるブルギバ通りには、どっしりとした建物がならび、フランス植民地時代を彷彿させます。通りは大きな門のある広場に行きつき、そこから細い路地がいくつもはしる迷路のようなメディナが始まっています。
メディナの中は小さなお店が所せましと並んでいて、狭い路地を買い物をするでもなく、老若男女、たくさんの人が往来しています。チュニジアの中心地とだけあり、様々な人種、ファッションの人々がいて、どちらかというと保守的なチュニジア南部とは、やはり異なる雰囲気があります。
散策後、メディナからブルギバ通りを数分歩いたところにある、地元のスーパーでお買い物。何の変哲もないスーパーですが、食品、日用品がならび、デイツ、アーモンドなどの量り売り、お茶、お菓子、オリーブオイルなど、値段や売り物を見て、地元の生活を垣間見ることができ、これも面白い体験でした。
街の買い物を楽しみ、バスで10分ほど移動し、17:30、到着日にも宿泊したホテル、アブナワス・チュニスに到着。移動の続いたチュニジア縦断の発着点に戻ってきました。夕食は、ライブ演奏も聴きながらホテルのレストランにて。
【7日目】1月15日:チュニス~ドゥッガ~ブラレジア~チュニス
9:00、ホテルを出発、チュニジア北西部、ローマ遺跡のあるドゥッガとブラレジアへ。ドゥッガまではチュニスから、途中トイレ休憩もはさみながら2時間弱の道のり。チュニジアの西側、アルジェリアとの国境近くはアトラス山脈が連なっており、遺跡のあるこの二つの町も、丘を登って行くかたちになります。
ドゥッガのローマ遺跡
11:00前にドゥッガのローマ遺跡へ到着(カメラ撮影料金1ディナール)。北アフリカ最大で、保存状態がとても良いローマ遺跡。神殿(写真左)、劇場、浴場や住宅地(写真右)など、当時の街並みがかなり残っており、街ゆく人々やその活気が想像できそうなほどです。当時は一万人近くが居住していたと言われています。遺跡の外側の丘陵には緑の畑が続き、カルタゴの肥沃な大地を利用した農業で自給をしていた当時の光景も思い描かれます。
広大な遺跡を12:30までかけてゆっくりと散策し、昼食へ。ドゥッガのレストランで、タジン(キッシュのようなもの)と、メインのお肉は選択式で、七面鳥かいのしし。
ブラレジアのローマ遺跡
14:00にドゥッガを出て、ブラレジアへは丘を超えて、15:00過ぎに到着。ここのローマ遺跡は、地下住居があることで知られています。夏暑く、冬寒い土地のため、地下に暮らしたと言います。地上の建造物はあまり多く残っていません(写真右)が、地下にはローマ時代の緻密で芸術的なモザイク(写真左)が保存されています。ここからバルドー美術館に移設されたものもあります。遺跡には様々な草花が植生しており、より和やかな風景を演出していました。
チュニスでの夕食交流会
1時間30分ほど散策し、ブラレジアを出発。19:00頃チュニスに到着し、夕食交流会のレストランへ。ここではマルーフというチュニジアの伝統音楽の生演奏も。チュニジアに住む日本人女性と、ガイドのラサドさんの勤め先である旅行会社のチュニジア人の社長さんとともに会食。3つのテーブルにわかれ、ゲストのお二人には席を交代していただきながら、お話を伺いました。チュニジアの職や教育などの現地事情や、日本とチュニジアの違いについてなど、思い思いの話題が交わされました。
【8日目】1月16日(金):チュニス~カルタゴ~シディ・ブ・サイド~チュニス
朝9:00にホテルを出発、バルドー美術館へ。9:30の開館と同時に入館(カメラ撮影料金1ディナール)。ラサドさんの説明を聞きながら、ゆっくりじっくりと作品を見ていきます。
バルドー博物館の目玉はモザイク作品。ローマ時代が最盛期で、描写も細かく、描かれている内容も多岐にわたっています。モザイク作品はその前後の時代にもありましたが、フェニキア時代は物語や物体を描くのではなく、建築物の色付け程度の役割であり、またローマ時代後半、キリスト教の布教とともに、それまでモザイクが果たしてきた役割は推移し、墓石の装飾などに使われましたが、だんだんと技術的にも芸術的にも薄れていった様子がわかります。イスラム西方進出の時代に入ると、モザイクではなくアラブ朝の装飾へと移り変わっていきます。モザイクは絵画のような芸術ではなく、職人的な技術だったとのこと。バルドーが美術館ではなく博物館である由来はそこにもあらわれているようです。
カルタゴ遺跡
バルドー博物館で1時間半ほどゆっくりと過ごし、カルタゴ遺跡へ(カメラ撮影料金1ディナール)。カルタゴは紀元前800年にフェニキア人によって建設され、その後3度のポエニ戦争を経てカルタゴはローマに敗れます。その後、ローマはカルタゴの地に自らの都市を築いたので、現在カルタゴに残る多くの遺跡はローマのものとなっています。ビュルサの丘では、フェニキアによるカルタゴの遺跡を見ることができます。左の写真はビュルサの丘でもの思いにふける真紀さん。ここには博物館もあり、発掘された食器等の道具が展示され、フェニキアの人たちの高い文明を計り知ることができます。1時間30分ほど、カルタゴを散策。
昼食のレストランに向かう途中、カルタゴ遺跡の一部であるトフェ(写真・右)も見学。トフェは子供たちの墓で、かつては神々の聖域だったという説もありますが、研究段階で正確なところはまだわからないのだそうです。
昼食は13:00から。スープと焼き魚。チュニジアの料理は非常にシンプルなものが多いです。味付けは薄味めですが、これは最近の健康志向で、塩分控えめにする人が増えているからだとか?でも野菜、果物も多いので、食事で体調不良になる人は出ず、それが何よりでした。
シディ・ブ・サイド
14:00にレストランを出てバスで移動。
30分ほどで、白い街並みに青いドアや窓、チュニジアンブルーの街並み、シディ・ブ・サイドへ到着。丘にある町で、道沿いに鮮やかな色調の商品と店が立ち並びます。坂道を登っていくと、丘の上からは空と海の青。銀細工などの買い物を楽しむとともに、白と青の織り成すチュニジアの美しさを堪能しました。
1時間かけて街を楽しみ、チュニスのホテルへ。帰国日を前に準備時間もゆっくりととります。夕食はホテルのレストランで。チュニジア伝統楽器の生演奏も聞きながら、最後まで、楽しいおしゃべりと笑顔の絶えない夜となりました。
チュニジアの東西、南北を旅し、様々な面を見聞き体験しました。歴史、文化、生活、風土、小さな国土にたくさんの魅力と発見がありました。波瀾万丈の歴史を経て、今は平和なアラブ、イスラムの国・チュニジアの果たす役割は、いったいどのようなものなのか。知り考えるきっかけをいただき、遠かった国が近くなった、そんな旅であったと思います。